Ryushi TACHI (舘 隆志)
Lecturer, Faculty of Buddhism, Komazawa University
(駒澤大学仏教学部 禅学科 専任講師)
舘隆志
- 駒澤大学専任講師。
- 曹洞宗龍音寺住職。
【専門】
- 曹洞宗学。
- 日本禅宗史。
- 禅と文化。
【経歴】
- 1976年 静岡県生まれ。
- 1999年 駒澤大学法学部卒業。
- 1999年 大本山永平寺安居(2001年11月まで)。
- 2009年 駒澤大学大学院仏教学専攻博士後期課程修了。博士(仏教学)。
- 2011年 『園城寺公胤の研究』(春秋社、2010年)によりに曹洞宗特別奨励賞受賞。
曹洞宗研究員、建長寺研究員、駒澤大学非常勤講師、花園大学非常勤講師、東洋大学東洋学研究所客員研究員、花園大学国際禅学研究所研究員を経て現職。
- 舘隆志『園城寺公胤の研究』春秋社、2010年。
- 佐藤秀孝、舘隆志共編『蘭渓道隆禅師全集』巻1『蘭渓和尚語録』大本山建長寺、思文閣出版、2014年。
- 舘隆志「鎌倉期禅僧の喫茶史料集成ならびに訓註(1~5)」『花園大学国際禅学研究所論叢』12~17、2017~2022年。
- 舘隆志「禅宗における茶の受容―禅と茶の関係を考える」『国際禅研究』7号、2021年。
- 舘隆志「道元と喫茶文化」『駒澤大学仏教学部論集』52、2021年。
Zengo, Zen Mind: Understanding the Monk's Heart through Zen Phrases
禅僧と心ー禅語を中心としてー
ABSTRACT
禅宗における茶の受容の歴史を辿りながらさまざまな禅語を紹介し、禅の心、茶の受容、禅問答などを解説していきます。
最初に、禅の思想、主に「正法眼蔵涅槃妙心」という仏陀の心、禅宗における心について、「教化別伝」「不立文字」などの禅語を交えながら紹介します。禅宗において、禅僧にとって「心」とは。これは大変難しいテーマです。
次に、禅宗で茶が積極的に受容されることになった背景についても考察します。禅における茶の受容に大きな役割を果たすことになったのは、「即心是仏」心こそほかならぬ仏であり、「平常心是道」日常の心こそが仏道である、という馬祖道一の思想によるものと考えています。それゆえに、日常で茶を飲むという行為そのものが、禅宗では思想的にも肯定されることになったのではないでしょうか。
日常生活が肯定された禅宗では、茶を飲むという日常の行為も問答になりました。その後にこのような問答が公案(禅の課題)となっていきます。禅宗においての「茶」はほかの宗派とは一線を画するものだったと言えるでしょう。
日本の栄西や道元の史料から、日本における茶の受容と展開について解説します。鎌倉時代に多くの日本僧が南宋に渡り、または南宋の僧が来日して日本に禅を弘めました。その際に南宋禅林で日常的に飲まれ、儀礼として行われていた喫茶文化を日本に将来しました。その茶は、絶えることなく日本で受け継がれ続けました。また、これまでは、茶と言えば栄西と思われていましたが、道元に大量の喫茶関連史料が残されており、これによって鎌倉時代初期の禅寺の茶の受容状況が新たに分かってきました。道元にとって、茶を飲むことそのものが日常であり、日常に茶を飲むことそのものが修行生活の一つでした。
この他、禅僧は中国の宋代から、季節の節句ごとに特別な茶を飲んでおり、それらの喫茶文化も日本にそのまま将来されて受け継がれていきます。禅僧たちも季節感をとても大事にしていたのです。現在、茶道では季節ごとの茶を楽しむ文化があると思うのですが、あるいはそのような茶の原型かもしれません。
禅の問答は、近代になって意味不明の問答として理解されていましたが、おおもととなる唐代の禅問答は、分かりにくいもののそれぞれ固有の文脈があり、決して単純な「意味不明の会話」ではなかったことが明らかにされました。
禅問答そのものも大変難しいのですが、さらに鎌倉時代は、渡来僧である中国僧は中国語で説法をしていました。中国語の中国僧と、中国語がわからない日本僧、筆談ができてはいても、言語の壁というは大変大きな問題だったことだと思います。
このような状況を考えた時、禅寺で師匠と弟子、師匠と修行僧たちが、ともに茶を飲むことに言語を超えたものがあったのではないでしょうか。道元が修行の一つとして喫茶を行っていたように、ともに儀礼を行うことも大切な修行だったのです。禅寺で茶をともに飲むという行為は、禅僧にとって「心」を伝える一助になっていたと考えられるのです。
そして、最後に禅の立場からみた茶掛けの意義と、私が最も大切にしている禅語である「平常心是道」について解説します。